読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

カグの樹の脚

つばめ綺譚社の紺堂カヤの小説『カグの樹の脚』を連載形式で順次公開してゆきます。

連載第五回 モモ、20歳。

 母の顔が、思い出せない。
 父の顔も、思い出せない。
 液体に半身をひたして手を伸べる母の顔は、長く黒い髪がうねうねと覆い隠してしまっていたし、父は後頭部をこちらへ向けていた。
 寒かった。
 こめかみだけが温かく、鼻がツン、と痛んで、自分が泣いているのだということを知った。
 黒くぼわぼわとした影が、母の背に、父の背に、触れた。ふたりの体が大きく跳ねて、床にたまっていた液体が赤く飛び散った。
 それきり、ふたりは動かなくなった。
「あああ……、ああああああああああああ」
 叫んでいた、のだと、思う。
 黒くぼわぼわとした影は、一瞬だけ、倒れている少女を見て、

 

『トクラナ……』

 

 とだけ発した。そして、消えた。

 

 影に、見られた?影が、言葉を?
 その奇妙ささえ奇妙だと認識できるわけもなく、少女は。
「あああああああああああああああ!!!!!!!」
 叫んで、いたのだと思う。
 母と父に駆け寄りたくて、けれどできなかった。
 消えたものを追いたくて、けれどできなかった。
 立ち上がれ、
 立ち上がれ、
 あたしの脚よ
 立ち上がれ!
 立ち上がれ!
 お願いだから!!

 けれども脚は、動かない。
 動く脚が、そこにはなくて。

 

 十六歳の冬、少女の両親は黒い影に殺された。そして、少女の両脚も奪われた。

 

 

 

 薄明るい部屋で、20歳のモモは目覚めた。
 甘いような、酸っぱいような、夕暮れの空の色のような香りが、かすかにしていた。
 ここは第8球、通称・ハブ。フック社の宿舎に用意された部屋。
 燻したような色の天井にピントを合わせながら、胸中で唱える。起き上がる前の儀式みたいなものだ。所在の確認と、存在の確認。
 あの日の夢をみたあとは、その確認がわりあいにラクだ。
 随分と、久しぶりにみた気がする。
「あたしは、モモ」
 小さく声に出してから、ゆっくり起き上がった。薄手の掛布団を剥ぐと、白茶けた木製の義足がつるりと顔を出した。両脚とも、膝から下がこれである。そっと撫でると、いつもどおり、ひんやりとした硬い質感が手のひらに伝わった。
 これが、モモの商売道具である。世界の間を跳び回るための、脚。
 この脚が。
 思い出させる、この脚が。
 この脚がある、その所為で、思い出される。
 モモは、唇を噛みしめた。この脚さえなければ、そう考えてしまうことを、いまだにやめられない自分がイヤだ。
 今、自分が生きていられるのも、この脚があるからで。
 叩き割れない、壊せない。
 だからせめても、できるだけ、見ずにおく。
 先日の仕事でつけてしまった窪みから視線を引き剥がして、義足がすっぽり収まるブーツを履いた。
 クローゼットの中でアラームが鳴りだして、モモは通信端末を上着のポケットに入れたままにしていたことを思い出した。
『クイーン、義足健診』
 小さな画面にそう表示されているのを見てからアラームを止め、適当に髪を整えて上着を引っつかみ、部屋を出た。
 フック社のジャンパーになって3年になるが、モモはいまだに、宿舎のどの部屋に誰が住んでいるのかイマイチわかっていない。滞在時期も時間も社員は皆バラバラなのだから仕方ないのだけれど。
 世界間を跳び回ることを仕事にしている者たちを、ジャンパーと呼ぶ。様々な珍しい品物を仕入れたり、調査・諜報をするのである。
ジャンパーには大きく2種類の人間がいる。遺伝的な能力で世界を跳ぶ者と、特殊な素材の義足をつけることで世界を跳ぶ者である。割合としては圧倒的に遺伝的な能力を持つ者が多い。モモは、少数派である義足で跳ぶ者の中でもさらに少数な、両脚共が義足のジャンパーであった。
 ジャンパーを雇って事業を行っている会社は、主に3社だが、義足のジャンパーはほぼ全員がフック社に属していた。
「どうもー」
 軽い挨拶でモモが城に入ると、すらりと背の高い女性が、待ち構えていたようにキッと鋭い視線を向けてきた。城、というのは通称で、正式名称は、義足調整室。
「来たわね」
「に、睨まないでよクイーン」
「脚の傷ないがしろにしたあなたに文句を言う資格はない!」
 体のラインをすらりと見せる細身の真っ赤なワンピースに、足元は銀のピンヒールという姿のクイーンは、フック社が誇る腕のいい義肢技師である。冷ややかな眼差しが彼女の美貌を際立させていた。
「だってちょっとへこんだだけだよ?毒矢でもなかったし、大丈夫だったよ?」
「大丈夫かどうかを判断するのは私の仕事なの。さっさと見せて」
 モモはブーツを脱ぐと、長椅子に上がって両脚を伸ばした。クイーンが、サッと全体に目を走らせてから、左の義足についた傷に触れた。
「そんなに深くないみたいね」
「うん、すぐ抜いたし」
「でも刺さった衝撃で継手に歪みが出てる可能性はある。一度外して点検するわよ」
「はーい」
 左の義足だけを外すと、クイーンは素早く太ももあたりから下がすべて覆い隠される大きさのブランケットをモモにかぶせた。
「ったく、なんで傷受けてすぐ帰って来ないの?第6球で付けられて、そこから第130球と第36球を回ってくるだなんて」
 冷たい眼差しはそのままに、クイーンは口調だけを加熱させていく。表情の変化は乏しいのに饒舌、というのがこの美しき凄腕技師の不思議な魅力のひとつであった。
「す、すみません……」
 肩をすぼめて素直に謝る。クイーンはハア、とため息をつくと、モモの目の前の作業台で点検を始めた。
「もう少し労わってよ、自分の脚なんだから」
「……あたしの脚は、切り離されちゃったのよ」
「え?何?」
 モモがぼそりと言ったセリフは、クイーンには聞こえなかったようだった。モモの表情を窺うようにするクイーンに、なんでもない、と笑うと、クイーンは肩をすくめて作業台に視線を戻した。
 モモはできるだけそちらを見ないようにして、ブランケットの上に投げ出した両手の指先、決して綺麗とは言えないギザギザに欠けた爪を、見るとはなしに眺めた。
「そういえば、また第6球だったの?」
「そうなの。初めての国ではあったけど。なんでなのかなあ?」
 モモたちジャンパーは、飛び渡る世界をナンバリングし「球」と呼ぶ。実際、外側から見ると球形なんだそうだが、モモは平社員というか平ジャンパーであるため「外側」など見たことはない。
「あたし、目的球誤差、低い方じゃないから偉そうなこと言えないけど……、使いこなせてると思うんだけどなあ」
 クイーンの手元にある義足を眺めながらぼやくように言う。
「使いこなせてる、ねえ……」
 クイーンは肯定も否定もしなかった。
「誤差数値はともかくとしても、第6球ばかり、というのが、ね」
「そう、それなんだよね。やっぱ、引き寄せられてる感じするんだよなあ」

「……あんたが追ってるものには関係なさそうなんでしょ?」

「うん、散々調査はしたんだけど、どうも関係なさそう。そう都合よくはいかないってことね」

 両親の命と、両脚を奪った黒い影を、モモは3年間ずっと追っている。いまだ、しっぽすらつかめていないのだけれど。なにせ、手がかりは〝トクラナ〟という言葉だけだ。その意味すらもわからぬとあれば、雲をもつかむ、いや影をもつかむような話であった。

「相変わらず、こっちでも新しい情報はないわよ。毎度こんなことで申し訳ないけど」

「クイーン姐さんが申し訳なくなることないでしょ。気にかけてくれてるだけで有難いよ」

「姐さんはやめて」

 ぴしゃりと言われてモモは笑う。そういえばクイーンの年齢を尋ねたことは一度もなかった。自分より年上であることは間違いなかろう、とモモは思ってはいるのだが、改めて問う勇気は起きない。

「そういえばこの前、ポタラが来たわ」
ポタラ?サンスーシ社の?」
「そう。相変わらず可憐な娘よねー。それに比べて、いっつもくっついて歩いてるロベンの奴は何なの?図体もデカイなら態度もデカイ!ポタラはよくあんな男と一緒に仕事してるわよね」
 ジャンパーの所属している会社は、フック社の他にサンスーシ社とホァン社がある。ライバル社、ということにはなるが、それぞれ顧客の特性が違うため、実際のところ競うような事柄はないに等しく、むしろ協力体制が整えられていることが多い。特に、サンスーシ社はすべての「球」を監視するシステムを持っており、それを使わぬことにはどの社に所属するジャンパーも世界を跳ぶことはできない。らしい。
 モモにはそういう、システムの根幹はわからないので、もっとわかりやすい特徴で3社を捉えていた。サンスーシ社に所属できるのは遺伝によってジャンパーになった者、それも、純血と呼ばれる、代々がジャンパーの血統である者だけである。ホァン社はジャンパーの出自は問わないが、請け負う仕事が「調査任務」のみに限っている。フック社はなんでもあり、だ。特徴を挙げるならば、腕のいい義肢技師が所属しているため、ホァン社よりも義足ジャンパーが多い、ということくらいであろうか。
「で、ポタラは何の用事だったの?」
 クイーンがまったく表情を変えないまま捲し立てるロベンへの文句が、一区切りするのを待って、モモは尋ねた。
「ああ、素材の情報を持ってきてくれただけなんだけどね」
「あ、そう……。良かったじゃないですか」
 どうやら愚痴を言いたかっただけのようだ、とモモは微笑んだ。
「まあね。使えるかどうかはまだわからないけどね。私が直接見に行けたらいいけど、私はジャンパーじゃないから」
 素材、というのは、義足の、という意味である。世界を跳ぶ脚となるための義足は、特殊な木材で作られるそうだ。
「じゃあ、もしかしてクイーンは木材の形になる前のカグの樹、見たことないの?」
「ないの」
「そうなんだ……」
 モモは少し不思議な気分で、クイーンの調整を受けている自分の義足を眺めた。
「ん、いいかな。モモ、脚、戻すよ」
 クイーンが両手で捧げ持つように左の義足をモモの前に持ってくる。モモはブランケットをめくった。膝の断端は、赤ん坊の肌のように柔らかそうで、つやつやしていた。ここを斬られたときの痛みは、この世のものと思えないほどであったのに、今は不思議と、さっぱり、忘れてしまっていた。この世とかあの世とか、そういう既存の概念がすべて吹っ飛ばされてしまったからかもしれない。
 モモが見つめていた先を、クイーンも見つめていた。左の義足を持ったままで。
「大丈夫、もう痛くないから」
 モモが微笑むと、クイーンはごく平坦に、知ってるわ、と言って義足をはめてくれた。
「どう?違和感ある?」
 モモは長椅子の上で少し確かめてから、床に立ち上がって何度か屈伸運動をしてみた。違和感はまるでなく、むしろ前よりもなめらかに動くような気がするほどだった。そしてそれはおそらく気がするだけでなく事実そうなのだろう。
「問題ないよ、素晴らしく遠くまで跳べそう!」
「それはよかった」
 にこりともせず、クイーンがうなずく。
「右も調整しておく?」
「ううん、とりあえずいいや。なんか、社長から呼び出されてるし、しばらくハブにいなきゃいけないんじゃないかな、あたし」
「じゃ、また何かあったら来て。……すぐに、よ?」
「はあい」
 鼻先に人差し指を突き付けられて、モモは笑った。ブーツを履いて、城を出ようとしたとき、クイーンが思わず、といったように呼び止める。
「ねえ、モモ」
「ん?」
「あんたさ、聞き上手なんだから、他人の話ばかりじゃなくて自分の話にも耳を傾けてあげなさいよ?たまには」
 表情はやはり変わらぬまま、冷ややかなままだったが、口調には気遣うものが感じられて、モモはホットチョコレートを飲んだあとのような気持ちになった。
「うん、ありがとう、クイーン姐さん」
「姐さんはやめて」
 あはは、と、モモは声に出して笑った。