カグの樹の脚

つばめ綺譚社の紺堂カヤの小説『カグの樹の脚』を連載形式で順次公開してゆきます。

連載第六回 パートナー

 社長室へ出向くべき時間にはまだ余裕があったため、モモは食事をするべく社屋を出て繁華街へ向かった。チキンシチューの味が気に入って、よく足を向けるようになった『小鹿亭』に入る。店内は、真っ昼間だというのに酒を煽って盛り上がる面々で賑わっていた。ほぼすべてのジャンパーが拠点にしているハブにおいて、昼と夜の区別などはあってないようなものだ。
 小鹿亭のマスターは、白い口髭をいつもきちんと整えている。モモの姿を見つけると愛想よく手を振って、カウンターの一席を案内してくれた。
「やあ、モモいらっしゃい。何にするね?」
「チキンシチューとバケットのスライスを」
「それから冷たいレモネードをふたつ」
 すぐ後ろから軽やかな声が割り込んで来て、モモは少々驚いた。ポタラだ。小麦色の肌を持ち、深紫の髪を特徴的な輪っかの形に結っているポタラは、青い瞳で穏やかに微笑んだ。
「久しぶりね、モモ」
「うん、そうだね!さっき、クイーンのところでポタラの話を聞いたところだったんだよ」
「私の話?ロベンに関する愚痴じゃなくて?」
「それだ」
 くすくすと笑いあっているところに、マスターがレモネードのグラスを出してくれる。陽だまりのような色のレモネードは小鹿亭の特製品だ。
「そういえば、そのロベンは?ひとりでいるなんて珍しいね?」
「そんなに四六時中いっしょにいないわ、仕事上のパートナーなんだもの。……乾杯しましょ」
 ポタラがグラスを持ち上げ、モモもそれにならってキン、と軽く合わせた。
「お酒でも飲みたいところなんだけど、あなたこれからウィリアム社長に会うんでしょう?」
「よく御存じで」
 ウィリアム、はフック社の社長の名前である。
「そのことで、モモにお願いがあるの」
「へ?」
 シチューとバケットを受け取りながら、モモはポタラの憂い顔をぽかんと眺めた。社長に呼び出された理由についてはモモ自身もまだ知らないのである。
「ウィリアム社長から通達されればわかることだけど……、ああ、どうぞ食べながら聞いてね」
 ご丁寧にそう促されたのに甘えて、モモはバケットのスライスをシチューにひたして食べ始めた。まろやかなのにコクがある風味がたまらない。だが、食べる手はすぐに止まってしまうことになる。
「モモには、パートナーがつけられることになると思うの」
「……は?」
 寝耳に水、な話で、モモはぱちぱちと瞬きをした。
「パートナー、というのはつまり、ポタラとロベンみたいなこと?」
「そう。これまでよりも高度な依頼を任せるおつもりなんでしょうけど……、私がお願いしたいのは、その、モモのパートナーになるであろう人物についてなの」
「はあ」
 食事を再開して、モモは先を促した。
「フック社には入ったばかりだけど、ジャンパー歴は2年くらいになるはずで……、歳は確か私のふたつ下だったかしら」
ポタラのふたつ下なら、あたしと同い年だ。男性ですか、女性ですか」
「男の子よ」
 ここで男性、ではなく、男、でもなく、男の子、と答えるところがポタラらしいな、と思ってモモはすこし微笑んだ。
「その男の子の様子、というか、仕事ぶり、というか……、何か変わったことがあったら私に教えて欲しいの」
「何か、問題のある人物なの?」
「いえ、そういうわけではないんだけど……」
 ポタラは困ったように微笑んで、少し躊躇うふうにしながらも理由を述べた。
「その男の子の、ご両親に頼まれているの。私もお世話になっている方々だから、断れなくて」
「……もしかして、その、あたしのパートナーになるであろう人って、フック社に入る前はそちらに?」
「ええ。サンスーシ社にいたのよ」
 つまり純血のジャンパーということだ。
「それはかなり珍しいことだよね……、なんでまた?というのは、訊かない方がいいのかな」
「訊いてくれても構わないけれど、残念ながら私もよく知らないの。突然、フック社に移ることになったから、とだけ」
 ポタラも困惑しているわけか、とモモはうなずいた。
「……何か変わったところがあれば、でいいのね?」
「ええ、それでいいわ。……ごめんなさいね。どんな人物かまだわからないにせよ、パートナーにスパイまがいのことをしろと言われては良い気持ちじゃないでしょう」
「んー、まあ確かにうきうき引き受けるわけにはいかないけど……、あたしの裁量に任せてくれるってことならわりと気が楽かな」
 だからロベンといっしょに来なかったのか、とモモは察した。あの融通の利かない男の前では、こういう話の持って行き方はできなかったであろう。
「ありがとう、モモ」
 明らかにホッとした様子のポタラに、モモは明るく笑って見せた。ポタラはグラスのレモネードを飲み干すと、マスターに金貨を渡した。
「モモの分も、これで取っておいて」
「えっ」
「いいの、面倒なことを頼むんだからこれくらいさせて。いずれきちんとお礼はするけれど」
 ポタラは辞退しようとしたモモを遮り、私も会社に顔を出さなければならないから、と言って席を立った。本当に育ちがいい人というのは、彼女のような人のことをいうんだろうなあ、なんて感心しつつ、モモはポタラに手を振った。
 シチューを、もう皿は洗う必要がないのではないかと思うほど綺麗にバケットで拭い食べて、モモは小鹿亭を出た。
 来た道を戻って、フック社の社屋の、地下へ入る階段を下りる。フック社の社長室は、ジャンパーでもある社長自らの希望で地下に作られたのである。なんでも、高いところは世界を跳ぶときにいくらでも見られるから、社長室は普段見られない地下がいい、ということらしい。が、最近はそれを後悔していて、社長室を移したいとごねては周囲を困らせているという。
「失礼します。社長、モモです」
「おー、入って入って」
 軽い返答を聞いてから扉を開けると、社長はテーブルを挟んで男と向かい合っていた。
「ピーター兄さん!」
 モモが喜色も隠さず呼ぶと、ピーターは微笑んで手を挙げた。いつ見ても爽やかな笑顔である。黒髪を短く刈り上げ、深い緑のジャケットを着ていた。
「何やってるんですか?」
 テーブルの上には鮮やかなボードが広げられていた。何色かに色分けされたそのボードには、小さな駒がいくつも乗せられていた。
「ドリドリ、ってゲームだ。第52球に行ってた奴が土産でくれてね。……ウィル、もう諦めろ。君の負けだ」
「……ちきしょう。あとでもう一勝負だからな」
 ピーターは笑って、いいとも、と言ってからモモの方へ身を乗り出して耳打ちするように囁いた。
「チェスみたいなものさ」
 モモが納得してうなずくと、社長が立ち上がった。彫りが深く精悍な顔つきは、ひと目であらゆる人生経験を積んできたのだとわかるものだ。けれど、笑顔は驚くほど無邪気でいつまでも少年のようである。
「ちょっと久しぶりだな、モモ!元気か?」
「はい、おかげさまで」
「なんだよー、おかげさまで、なんてオトナな挨拶ができるようになっちまってよー」
「そこ嘆かないで褒めてあげろよ」
 ピーターがボードゲームを片付けながら苦笑している。
「褒めてるともさ。仕事ぶりにしたって随分成長したものだと思ってる。この前の〝吸込青の絵具〟は見事だったなあ」
「恐れ入ります。あれは……、優秀な案内人がいたんです」
 モモはちょっと笑って見せながら、あの仕事褒められるほど難易度高かったのか、と内心で驚いていた。あの絵具が手に入ったのは、モモが首尾よくやった、というよりも幸運だったというべきだ。
「まあ、それで、だ。お前、単独でのハンター任務はもうそんな問題ないから、調査任務やんねえか」
「……パートナーがつく、ってわけですね?」
「そういうわけだ」
 社長がニヤッと笑った。
「同じ歳の男でな、見た目はなかなか悪くないぞ」
「そうですか」
「なんだよー、反応薄いなあ。楽しみだなあドキドキ、とかないのか?」
「ドキドキ、って」
 社長相手にあからさまな渋面も作れなくて、モモが中途半端に引きつった笑みを浮かべると、ピーターが腹を抱えて笑い出した。
「ちょっとピーター兄さん、そんなに笑わなくても」
「モモが男に興味なさそうなんで喜んでんだろ?っていうか、お前まだ〝兄さん〟なんて呼ばせてんのかその歳で図々しいな」
「別に呼ばせてるわけじゃないさ」
 そう言うピーターの声にはまだ笑いの余韻があった。社長の少年っぽさとはまた違う若々しさが、ピーターにはあった。二人とも、40歳は越えているはずなのだが、どうしてもそうは見えない。
「まあいいや。で、お前のパートナーになる男だが。我が社には珍しい、純血くんだ。……が、そんなことよりもだな」
 社長がスッと笑みを落ち着かせた。やはり何か問題のある人物なのだろうか、とモモは内心で身構える。ポタラの困惑顔が脳裏をよぎった。
「目的球誤差ゼロの男だ」
「!?」
 モモは目を見張った。素直に驚きであった。
 ジャンパーはあらかじめ跳ぶ先の世界、つまり目的球を定めて跳ぶが、必ずしも行きたかった球へ跳べるとは限らない。単純にジャンパー自身の能力差もあるが、相性や磁場の関係もあるそうだ。
「誤差ゼロ、ってことはつまり、今まで一度も、目的に定めた球以外に跳んじゃったことがない、ってことですよね?」
「そういうことだな。まあ、なんつーか、天才、ってやつなのかなあ」
 正確な数字は覚えていないが、誤差の平均はだいたい20パーセントくらいのはずである。10回に2回は目的球を外す、ということだ。どんなベテランでもゼロ、などということはないという。モモはというと30パーセントほど。ちなみに、外した時はたいてい、第6球に跳んでいる。
「まあ、それを殊更気にすることはないが。お前の第6球のクセ、これでちょっと解消されるかもしれんぞ」
 社長がハハッと快活に笑ったとき、ドアがノックされた。
「おお、来たな。入れ」
「失礼致します」
 生真面目そうな返事のあとに姿を現したのは、黒髪の青年だった。随分と背が高い、と思ってから、モモはすぐにそれを取り消した。身長はピーターの方が高い。だが、この青年はピーターの一回りほども細身であるために背が高く見えるのだ。
 青年はモモにチラッと視線を走らせたが、すぐに真っ直ぐ社長に顔を向けた。
「エルマーです。お呼びに従い参上しました」
「おう、ご苦労さん。軍隊じゃないんだ、そう堅苦しくすんな。モモ、こいつがさっき話してた、お前のパートナー、エルマーだ」
 社長がモモに笑いかける。面白い奴だろう、とその目が語っていた。
「モモです、よろしく」
「……エルマーです」
 エルマー青年は、モモを値踏みするような目で眺めながら名乗った。
「二人に組んでもらって、これからしばらくは、主に調査任務にあたってもらう。経験はないもの同士だが、正直、経験者と組ませたからといって教えられることがあるわけでもないからな、異存はなかろう?」
「はい」
「ありません」
 現段階で異存を述べられるような事柄は見つけられない。ない、と言うしかない。
「よし。ジャンパー歴はモモの方が一年長いが、同い年だ。仲良くやってくれよ」
「ちなみに、さっそく三日後に初任務の予定だ。今日中に通信端末へ通達が行くと思うが」
 ピーターが、社長の後ろから付け加えた。エルマーは、弾かれたように、ピーターの方へ顔を向ける。
「失礼ですが、もしかして、ピーター殿ですか」
「そうだが……ピーターどの?」
 ピーターが困惑したような笑みでまばたきをすると、エルマーは彼に大股に近づいて握手を求めた。
「歴代でもっとも優秀なジャンパーと伺っております。フック社社長の右腕として今も大変なご活躍とか。私の目標としております。お会いできて光栄です」
「えーっと、誰からそのように伺っておりますのか知らないけど、ありがとう」
 握手に応えながら苦笑したピーターは、社長がニヤニヤ笑って見ているのに気付くと渋面で睨んだ。
「じゃ、二人とも、よろしくな」
 ピーターの視線から逃れるように、社長はポンポン、と手を叩いてモモとエルマーの退室を促した。軽く一礼してモモが背を向けると、ピーターに呼び止められる。
「モモ、クイーンのところには行ったのか?」
「はい、ここへ来る前に」
 モモがうなずくと、ピーターは安堵したように微笑んだ。
「……あの。もしかして、彼女は義足ジャンパーなのですか」
 エルマーが表情を硬くしていた。モモ本人ではなく、社長に尋ねている。
「そうだが、それが?」
「聞いていません」
「そうだっけ?……で、それが?」
 社長は笑顔のままでエルマーを見ていた。モモは内心で、なるほどそういうタイプか、と考えていた。
「それが、って」
 絶句するふうのエルマーに、社長はなお笑みを深くする。
「モモが義足ジャンパーであることが、何か任務に影響するかね?」
「それは……」
「異存が、あるか?」
「……いえ。失礼致します」
 社長の笑顔に気圧されるようにして言葉を飲み込んだらしいエルマーは、細長い体を真っ直ぐにして、社長室を出て行った。確かに面白い奴かも、と若干疲れ気味にモモは思って、社長とピーターに肩をすくめて見せると、自分も退室した。
 エルマーは、宿舎へ向かう通路に待ち構えるようにして立っていた。実際、待ち構えていたのだろう。
「俺は、義足ジャンパーを信用しない」
 名前を呼びかけることすらせず、エルマーはいきなり啖呵を切った。正面からくるか、とモモは苦笑しつつ、つとめて冷静に返した。
「なぜ?」
「なぜ、だと?能力をもって生まれることができなかったからといって、脚を切り、つけかえて能力を得るなど、卑しい行為にしか思えない!そんな偽りの能力で、きちんとした仕事ができるものか!」
「仕事、してきましたけど?三年間。お疑いなら、これ、見る?」
 モモはポーチから通信端末を取り出し、リストを呼び出す。第6球で手帳の形だったそれは、ハブではモニター型の通信端末に自動的に姿を変えるのである。
「そういうことではない!」
「じゃ、どういうことよ」
 たまにいるんだよなーこういう義足ジャンパーを毛嫌いするタイプ、と口に出さないように気を付ける。特に純血のジャンパーにおいてはむしろ、ポタラのように親しく接してくれることの方が稀だ。
「あのね?キミが義足ジャンパーを信用してなかろうが憎んでいようが恨んでいようが、なんだっていいんだけどさ。パートナーになった以上、一緒に仕事しないわけにはいかないでしょ。さっき、社長に異存はない、って言っちゃったんだから。自分で。それとも今から社長室に引き返して、やっぱり異存あります、って言いに行く?」
 ぐ、とエルマーは言葉に詰まった。これだけプライドの高そうな青年だ、そんなことはとてもできないであろう。
「んじゃ、ま、よろしくね」
 モモはひらっと手を振って、そそくさと宿舎へ向かって歩き出した。
 自分の部屋の前まで来てから、はあ、とひとつ溜息をつく。どうなることやら、と先行き不安に思ったそのときに、通信端末が任務着信を告げた。