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カグの樹の脚

つばめ綺譚社の紺堂カヤの小説『カグの樹の脚』を連載形式で順次公開してゆきます。

連載第七回 ターミナル

『第98球における調査任務 ホウル国北東地方の基本情報更新のため、統治状況を中心に再調査のこと。任務着任は本日より三日以内に』


 任務内容を3回読んでから、モモは通信端末に第98球の基本情報を呼び出した。これが、モモたちの調査任務の結果、書き直される可能性があるということだ。
「第98球……、基本原理球。恒星ひとつ。衛星みっつ、生命が確認されているのはその内ひとつのみ……、5か国を有し、言語は同一、か。とりあえず、基本原理球ってのは相当安心材料だなー……」
 自室のベッドに寝転んで、モモは呟いた。基本原理でない球はそれだけで任務の難易度が上がる。空が黄色だったり緑だったり、というのはまだいいとして、重力に大きく差がある場合が一番困る。歩行だけで一苦労だ。
 あとはホウル国の文化基準などの情報を中心に、一通り目を通す。決して少なくはない分量だが、第12球や第108球に比べれば可愛いものだ。
 任務着任は三日以内に、とあったけれど、特に三日もかけてすべき準備もないので、仮眠を取ったらすぐ出発することにしていた。もちろんエルマーと相談しての決定なわけだけれど、すべて通信端末を用いて行ったため、顔をあわせてはいない。面と向かって話せばよい関係に発展したのではないか、なんてことは少しも思っていなかったので、特にそれに関して不満はない。
 出発ターミナルに集合すると決めた時間まで、あと30分というところで、モモは起き上がった。ベッドの上に投げ出していたベルトを腰に巻いて、くくりつけてあるポーチの中身を確かめる。最後にブーツを履きながら、特に腹は立たないな、とモモは思った。エルマーのことである。不信感を持たれた状態で仕事をするのはやりにくいに違いなく不安ではあるけれど、義足ジャンパーだと蔑まれたことに対する怒りは、ほとんどなかった。
 義足であることを誰よりも疎んでいるのは、自分自身なのかもしれない、という思いがモモの胸をよぎる。
「ごめんね」
 モモはブーツの上から義足をなでて、部屋を出た。
 部屋を出てすぐのところで、ピーターの姿を見つけ、笑顔になる。
「今、お前の部屋に行こうとしていたところだよ。もしかして、もう出発するのか?」
「そうなの。まあ、伸ばす理由もないから。何かご用事でした?」
 モモは、相手がピーターだけだと少し物言いが砕ける。嬉しさを隠そうともせず、満面の笑みでピーターを見上げた。
「ああ………、今からターミナル?」
「うん」
 歩きながら話そう、とピーターはモモと共にターミナルへ足を向けた。
「第98球のことを、俺が知っている限りで教えておこうと思って」
「助かりますー!」
「基本情報は?」
「一通り読んだよ」
「うん、それで何か気になった点は?」
「んー、任務内容にはホウル国北東地方の〝再調査〟とあった……、それなのに、その、少なくとも一度はあったはずの調査の内容が基本情報に反映されているようには思えなくて……。第98球はそんなに新しい球でもなかったはずだし」
「そう、まさしくそこなんだ」
 ピーターは満足そうにした。
「前の調査は、ホウル国全体を対象範囲にしたもので、北東地方に関しては〝どうやらこの地方だけ違う支配系統を持っているらしい〟というところまでしかわからなかった。不確定すぎたんで、文書化できなかったんだよ。それで今回、北東地方のみをみっちり調査してもらうことになってるわけさ」
「ははあ、なるほど。じゃ、これクライアントからの依頼ではなくてジャンパーのための資料の調査なんですね?」
「それはナイショ」
 人差し指をそっと唇にあてる仕草をごく自然にしたピーターを見て、モモは頭を抱えた。この歳の男性がそんなお茶目なことするとか反則すぎる。
「そこはハンター任務と同じだよ、モモ。依頼先についてはジャンパーには教えられない。知っているだろう?」
「あ、はい、知ってます、知ってますけどもね……」
 モモが苦笑したとき、ターミナルの門が見えてきた。
「ターミナル、っていうか滑走路なんだけどねえ」
「モモ、それいつもやるよね、ターミナルの名称にケチつけるの」
「ケチつける、って言わないでよピーター兄さん。っていうか、ここまで来ちゃって良かったの?お見送りしてくれるの?」
「ああ、そのつもりだよ。お見送り、というか……、ちょっと心配でもあってね」
「心配?」
「モモ、複数人で跳ぶときの方法、覚えてるかい?」
「え?」
 モモはジャンパーになってからずっと、単独での仕事しかしてきていない。跳ぶときはいつもひとりだ。誰かと跳んだ経験というのは、過去に。
「……あ」
「思い出した?」
「うん。ジャンパーになる前の、教育期間だ。何度か、ピーター兄さんが一緒に跳んでくれた……、ってことは、ええ!?」
「そういうことだ。エルマーも、忘れてたみたいだな、来て良かった」
 ピーターが笑いながら振り返ると、苦しそうにも見えるほど眉をしかめたエルマーがそこにいた。モモとピーターの会話は、ある程度聞こえていたらしい。
「……お気遣いに感謝します。コースの申請は」
 エルマーは渋面のままピーターに頭を下げて、モモに問う。まだ、と首を横に振ると黙ってターミナルの門を潜って行ってしまった。
「すぐ使えるらしい。赤コースだ」
 モモたちがターミナルに入ると、すでにコース申請を済ませたらしいエルマーが赤いランプが光るコースを指さした。
「はいよ」
 モモはうなずくと、ピーターに手を振ってコースに向かう。助走用の道が何本も設けられたこのターミナルは、3社合同で使用している。今日は出発のジャンパーが少なかったのだろうか、いつもより空いていた。助走路の区切りと距離を示す役目を担うランプの前にふたり横並びで立つと、モモはエルマーに左手を差し出した。いまだ渋面のままのエルマーに苦笑してしまう。
「そう嫌そうな顔されるとさすがに傷つくんですけど?バイ菌なんてついてないよ」
「もともとこういう顔だ」
 そうは言い返しつつもさすがに少しバツが悪そうに、エルマーはモモの手を取った。
「歩幅は」
「目盛りみっつくらい。広げようか?」
「いや、いい。そっちに合わせる」
 等間隔に並ぶ赤いランプを横目で確認してから、モモはうなずいた。
「行くぞ」
「うん」
「座標、第98球。3、2、1!」
 呼吸を合わせ、ふたりは駆け出した。
 視線を、足元から上へ移動させていく。体が浮き上がって、桔梗色の空が近くなった。
 目の前が、ぐうん、と開けた。
 すわっとした、いつもの浮遊感。風が体を通り抜けてゆく感じ。
 この感覚が好きだから、モモはジャンパーをやっていられる、と思う。
 何か見えたわけではないのに、手を伸ばそうとしてしまって、気がついた。今日は、手を繋いでいる相手がいる。
 それに気がついた途端に、その手をぐん、と引かれたように下降が始まった。
 桔梗色だった空が、少しずつ橙色、いや紅に変わって、ああ夕焼け、と思った瞬間に、両脚が地面をとらえた。着地のときによろめくようなことがなくなったのは、いつ頃からかな、なんて考えが浮かんで、その答えが出る前に消えた。放牧場だろうか、青々と草の生い茂る、人影も民家も見当たらないだだっ広いところへ降り立っていた。
「おい、お前跳ぶとき気持ち持っていかれすぎじゃないか」
「え、そう?いつもこんな感じだけど」
 エルマーはまたあの眉をしかめた渋面でモモを眺めると、まあいい、と呟いてコンパスをぱかりと開いた。
「第98球、ホウル国。……北東地方より、やや南寄りのところに降りてしまったか。まあ許容範囲の誤差だな」
「うっわあ、予想以上の正確さ……、国までドンピシャかあ。さすが誤差ゼロの男」
「……誤差の話、聞いてたのか」
「え、うん、まあ」
 チッ、と舌打ちされてモモは戸惑った。素直に感心したつもりだったのだが、地雷だっただろうか。モモの心配をよそに、エルマーはサッと周囲に目を走らせて道を見つけたようだった。
「移動手段を調達するより歩いた方が早い距離だな。行くぞ」
「あ、うん、でも」
 でももうすぐ夜じゃ、と言いかけて、モモは自分の勘違いを悟った。夕焼けに見えていたのは朝焼けで、今から夜が明けるところなのだ。
「どうした」
「えーっと……、手……」
 自分の勘違いを明かす代わりに、着地してからも繋いだままであった手を示すと、エルマーは必要以上に勢いよく、それを振りほどいた。だからバイ菌はついてないって、と苦笑しつつ、モモは先に歩き出したエルマーの背を追った。
「ねえねえ」
 どうせ歩いている間に雑談をする気などないのだろうと、モモは拒絶を念頭に置いてエルマーに声をかけた。エルマーはちらり、と明らかに意図した見下ろす視線でモモを見た。少し迷うように瞳を動かしてから、小さく、何だ、と返す。無視されなかった、というのは意外であった。
「ジャンパーになって2年、だっけ?これまで跳んだ球でさ、どこでもいいんだけどさ、トクラナ、って言葉聞かなかった?」
「トクラナ?どういう意味だ?」
「いやー、どういう意味なのかは非常に残念なことながら、あたしにもわからないんだけど」
「なんだそれは」
 エルマーがふん、と鼻を鳴らして前を見る。モモも軽く笑って、エルマーから視線を外した。
「まあ、ちょっと何か思い当たることとか、思い出したらさ、教えてよ」
「任務に関係あることか?」
「ううん、完全に個人的なこと」
 ポーチからキャラメルを取り出して、エルマーにすすめてみたが、無言で断られた。
「……ピーター殿の、妹、なのか?」
「へ?」
 前を向いたまま、ぼそりと問われて、モモは一瞬意味がわからなかったが、ああ、と思い当たって笑った。エルマーは、モモがピーターを兄さん、と呼んでいたのを聞いたのだろう。
「違うよ。血のつながりはないの。兄貴分、っていう意味」
「……そうか」
 それきり、エルマーは口を開かなかったけれど、モモはなんとなく、抱えていた不安が減ったように感じていた。
 キャラメルが、甘くてやわく、溶けていた。