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カグの樹の脚

つばめ綺譚社の紺堂カヤの小説『カグの樹の脚』を連載形式で順次公開してゆきます。

連載第九回 トルネリコ

 トルネリコが近づくにつれて、周囲の様子に変化が見られた。図書館で感じた、誰が何をしていようが気に留める者などいないというような、都市気質の雰囲気が薄れ、代わりに排他的な空気が濃厚になってきた。端的に言うと、住民たちの好奇の目を感じるようになったのだ。
「もうちょっとで着くかな、兄さん」
「……ああ、そろそろだろう」
 些細な会話にも耳をそばだてられていると思って良い。兄さん、と呼ばれることに抵抗感はあるが、仕事なのだから仕方がない。
 街の真ん中に森がある、と今朝モモが言ったのが、トルネリコという樹のことであったようだ。森だと思ったのも無理からぬことだ、とエルマーも思った。ここまで近くへ来なければ、とても一本の樹だとは信じられぬほど、その枝葉は高く広く厚く、青々としていた。
 樹の根元まで数十メートル、というところまで来て、エルマーとモモはまるで示し合わせたかのように同時に歩みを止めた。一瞬、目的を忘れて、ただただ巨大樹を見上げる。荘厳、と言うにふさわしい立ち姿であった。これだけで、支配者であるということに納得してしまいそうになる。はあ、と隣でモモが熱を持った息を吐いた。何を語りかけられたわけでもないのに、エルマーは、それにゆっくりとうなずいた。
「何か、用か」
 不意に声をかけられて振り向くと、真っ黒な髭をたくわえた男が立っていた。警戒心むき出しの強張った頬に、エルマーの眉間もまた強張った。
「はじめまして、こんにちは!あたしたち、トルネリコの夜間警備員を募集してるって聞いて来たんですけど……、応募はどこに申し出たらいいんでしょうか」
 エルマーを押しのけるようにして、モモが前に出た。目の前の男は間違いなく初対面だというのに、にこやかに、快活に話しかける。
「夜間警備員?」
 男が訊きかえしたその言葉を、エルマーは自分の口から出てしまったものなのではないかと、一瞬思った。そんな募集、モモはどこで知ったというのだろう。
「そんなのは聞いたことが……」
「ねえ、あれじゃないかね?長老さまが、見張りを立てるのに人が足らないとかなんとか言ってたじゃないか」
 首をかしげる髭の男に、どこから現れたものだか、恰幅のいい女性が声をかけた。
「ああ、そういえば……。あれ本当に募集をかけたのか?」
「そうじゃないのかねえ?こないだ、酒蔵の息子たちが何か張り紙を配っていたけれど?」
「長老に確かめた方がいいな」
「そうだね。……ちょいとー!長老さまのところまでひとっ走りしておくれ」
 たっぷりとしたスカートのすそを持ち上げて小走りに、その女性はすぐそばを通りかかった少年を呼び止めていた。髭の男はエルマーとモモに向き直ると、このまま待つようにと短く伝えて、ふたりの前から姿を消した。エルマーは今のうちに、と素早くモモに耳打ちで尋ねる。
「……おい、その募集の情報、いつの間に聞きつけてきたんだ」
「今朝覗いたお店のショーウィンドウの内側に張り紙あった」
 同じく耳打ちを返してきたモモに、エルマーは思わず舌打ちをした。してしまってから内心で慌てたが、幸い、モモ以外には聞こえていなかったようだ。
 こうなってしまった以上、なんとかその夜間警備員に採用されるしかない。好都合といえば好都合だったが、これで果たして効率よく情報が集められるかは定かではない。少なくとも、対抗勢力と予想される議会派とやらの方の調査は困難になるのではないだろうか。そう考えるうちに自然、渋面となってしまっているエルマーに、モモはなおも何か言おうとしたようだったが、髭の男が戻ってきたために開きかけた口を閉ざした。髭の男の半歩前を、小柄な老人が杖を突きつつやってきた。皺の多い頬であるのに、妙につやつやと輝いて見える肌を持つその老人は、好々爺とした笑顔をふたりに向けた。
「いやあ、お待たせしたようだね」
「いえ!わざわざご足労いただきましたようで、ありがとうございます」
 モモがにこにことお辞儀をすると、老人は嬉しそうにふぉふぉ、と笑った。
「お若いのに随分としっかりした挨拶をしてくださるね。ウチの孫たちにも見習わせたいものだよ。……さて。夜間警備の仕事に、応募してくださるとな?」
「はい。旅の途中なものですから、短い期間となってしまうんですが、それで差し支えなければ、是非」
「ふむ。そう物騒なことをお願いするつもりはないのだがね、それでも警備というからにはそれなりに、腕っぷしというものが欲しいんだがねえ。失礼なことを言うようだが、その、お嬢さんはとてもそうは見えないがねえ?」
「あはは!それはむしろ嬉しいお言葉です。実は結構、やるんですよ?それに、あたしだけでは確かに頼りないかもしれませんが、兄は、本当に腕が立ちますし」
 兄は、と言いながらチラリ、とモモはエルマーに視線を流す。エルマーは黙って頭を下げた。下げてから、笑顔を作り損ねたことに気がついた。
「すみません、昔から無愛想で」
 誰が無愛想だ、と内心で毒づきつつも、こうなったらもう喋りはすべてモモに任せることにして、エルマーはそっと横目で周囲を確認した。先ほどの恰幅のいい女性をはじめ、近隣住民と思われる人々が数人、ふたりを窺うようにしていた。敵意を感じるような視線はない。むしろ、エルマーたちが敵意を持っているのではないかと疑うような目つきをしていた。
 エルマーが思うに、彼らはこの巨大樹・トルネリコを信仰の対象としている者たちなのだろう。その信仰を基盤とした社会構成が古くからあり、それを守ろうとしている者たちと、時代に合わせた行政を遂行して行こうとする議会の流れが衝突しているのだろう。
「頼りになりそうなお兄さんだねぇ。お二人はおいくつかな?」
「あたしが18、兄が22です」
 実年齢よりも上下にふたつずつズラすことにしたらしい。外見的な年齢からいえば、まあ妥当だ。
「そうだ、名乗ってなかったですね、失礼しました。あたしはモモといいます。兄はエルマー。ヤード国の出身です。ホウル国には初めてお邪魔しましたので、勝手のわからないことが多いですが、お役に立てましたら」
「ほほう、ヤードから。それは長旅でございましたなあ。ここから、どちらへ?」
「ホウルの首都へ向かう予定なのですが……、宿賃の目算を誤りまして、少々、懐が頼りないのです。首都へ出てしまえばもっとお金がかかるだろう、ということで困っていたところに、張り紙を見つけまして、これは幸運だ、と応募したわけなんです。まったく、田舎者ゆえの世間知らずでお恥ずかしい話でございます」
「なるほどなるほど。しかし、どんなに短くても三日ほどはお願いしたいが、お時間はよろしいのかな」
「はい、それは構いません。時間はあっても金はない、というやつです」
 あはは、と笑うモモに、長老もまたふぉふぉ、と笑った。よくもまあ、そうすらすら口から出まかせが言えるもんだ、と呆れつつも、モモが話した内容を頭の中で反復する。これに矛盾が出るような発言と行動は避けなければならない。
「ふむ。お願いしてみてもよさそうだの」
「長老!そんな簡単に!向こう側の、諜報員かもしれません!」
 髭の男が身を乗り出して気色ばんだ。向こう側、という言い方に、エルマーははっきりした対立の図式があることを感じとる。
「そうであったとしたら、トルネリコが決して傍には置かぬ。無用な心配だよ、ダガー。……と、言うわけでのう、儂はあなた方にお願いしてもよいと思うのだが、それを決めるのはトルネリコご自身なのでなあ」
「はあ……」
「ははは、困惑されるのも無理はないのう。しかしまぁ、一度体験されるのが手っ取り早かろう。……ダガー、お連れしなさい」
 ダガーと呼ばれた髭の男は、さすがにぽかんとしているモモをちらりと一瞥して、不本意そうにうなずいた。こちらへ、と促されてゆるく傾斜になった小道を進む。巨大樹をとりまくようにして続いているらしい小道の突き当りは開けた平地になっていて、おそらくは人工的にならして広場としたものと思われた。簡易的な小屋が斜面ギリギリに建てられ、その対角線上に巨大樹・トルネリコが腰を落ち着けていた。巨大樹を守るように、平地の中央には3本の燭台がある。夜になればここに火が入れられるのだろう。つまりは、ここがトルネリコの正面ということになるわけだ。
 先導していたダガーが深々と一礼して巨大樹の前へ進み出ていくのに倣い、エルマーとモモも慌てて一礼をする。その後ろから、一人の少年に付き添われて長老がやってきた。
「お二方、そのままもう少し、前へお進みくだされ。トルネリコの前で、深呼吸をして、心を静かに、立っていていただけますかな。ああ、目は開いたままで構いませぬよ。閉じてもよいがね」
 長老の言葉に従って、エルマーとモモは巨大樹のごく近くまで歩を進めた。ダガーは後ろへ退いて長老の隣に控えるように立った。
 深呼吸をする前に、エルマーはちらりと横目でモモを見た。けれどもモモはこちらを見ることなく、すでにトルネリコに魅入られたように視線を上へ持ち上げていた。エルマーも視線を前へやり、ゆっくりと、深呼吸をした。瞼は、自然に目の上へ降りてきた。
 途端に、爽やかな木の葉の香りが、すう、と鼻を通り額へ抜けた。
 言葉が入ってきた。けれどもそれは、目でも、耳でもないところを刺激するものだった。けれどもそれでも、確かに言葉であった。


 〝見届けて〟
 〝ただ見届けて。それだけが〟
 〝最後の望み〟
 〝そして貴方も、上げられる、伏せたその顔。差しだせる、下げたその腕〟
 〝見届けて〟


 ぐわり、と真上から頭を鷲づかみにされたように感じて、エルマーはハッと瞼を開いた。視界に飛び込んできた、幹の濃き色に、一瞬まだ閉じた世界にいるような気がして、けれどすぐにそうではないと悟った。
「これは……」
 思わず、声が出た。今の現象に対する驚きもあったが、自分の予想が裏切られたことに対しての驚きもあった。
 これは、信仰などではない。ここの住民たちは、ただこの巨大樹の霊験を信じているわけではない。この巨大樹の言葉を体験してるのだ。その言葉が確かに道を示すものであると、体験してわかっているのだ。信仰などではない。これはまさしく。
「統治だ……」
 道を知る者による、統治だ。
 ふ、と空気が動くのを感じて隣を見ると。
「え……」
 モモは初めから開いていた目をいっそう大きく見開いて、両手を巨大樹の方へ差しだしていた。その手を、引き上げてもらえることがわかっているかのように。おい、と声をかけようとして、声が出なかった。それは澄んだ水に手を入れるのを躊躇う感覚と似ていた。
 そう長い時間ではなかったと思う。モモの腕はするすると降りてきて、首が痛くなりそうなほどに見上げられた顔も、ゆっくりと伏せられた。モモも同じ言葉を受け取ったのだろうか、いや、違うものだろう。
「……支配じゃない」
 ぽそりと、モモが言った。
「支配じゃない、これは守護だ……、守り治めているんだね、ここを」
「……ああ」
 統治、という表現を柔らかくすれば、そういうことになるだろうか。その言い回しはエルマーにも好もしく思えた。
「お嬢さんの方が特に気に入られたようですな」
 長老が、にこにことそう言った。その笑顔は、どこかホッとしているようにも見えた。唇を震わせているモモに代わって、エルマーは端的に尋ねる。
「採用していただけたんでしょうか」
「ええ、そのようですよ」
 満足そうにうなずき、長老はゆっくりとふたりに近づいてきた。
「よろしく頼みます」
 握手を求められ、骨ばった、けれども力強い手と握り合った。
「夜間警備の内容は単純です。夜の間、トルネリコに近づく者がないかどうか、見張ってくださればよい。あの小屋を使ってください。食事はこちらで用意させましょう」
「……トルネリコに近づいて何かしようという者が、いるということですか」
「……現れるかもしれない、ということだね。それを知らなければ仕事はできんかね?」
「いいえ。ただ、どのようなことをされる可能性があるのか、それを知っておいた方が防ぎやすいとは考えます」
「うむ、道理じゃの。トルネリコを切り倒そうとしておる者が、おるらしくてね」
 穏やかなままではあったが、長老の表情は曇った。少し離れて聞いているダガーの表情は、もっとわかりやすく険しかった。
震えから回復したらしいモモが、エルマーから会話を引き継ぐ。
「切り倒す?こんな大きな樹を?とても無理そうに思えますけど」
「容易ではないだろうね。だが、トルネリコがいかに立派であっても、樹であることは変えられぬ。切り倒そうとすればできるし、燃やそうと思えば燃やせる」
 モモは黙ってうなずいた。
「日が落ちるまでまだしばらくある。小屋で仮眠でもお取りくだされ」
 長老は、ダガーと少年に付き添われて、立ち去ろうとした。
「あの!」
 その背に、モモが声をかける。まるで切羽詰ったようなその声の出し方に、エルマーは目を見張った。
「まったく個人的な質問なんですけれど」
「何かな?」
「長老さまは、トクラナ、という言葉にお聞き覚えはございませんか」
「はて……。人の名前か何かかね?」
「いえ、それもわからないんです」
 トクラナ。今朝、エルマーにも問うていた単語だ。任務中だというのに個人的なことを、と憤るよりも先に、一体何を示す言葉なのか、ということがエルマーも気になった。
「そうか……。いや、申し訳ないが、聞いたことがないねえ」
「そうですか。ありがとうございます」
 さして落胆した様子も見せずに、モモは会釈した。自分が問われたときにも思ったが、この質問と空振りの回答はおそらく何度となく繰り返されてきたものなのだろう。
「……お嬢さん。トルネリコは何でも知っている」
 長老が、静かに言った。
「だが、何でも教えてくれるとは限らない」
「……はい」
 モモの返事に微笑んで、今度こそ長老はその場を去った。

 

 

※次回の更新は3/30頃の予定です。