カグの樹の脚

つばめ綺譚社の紺堂カヤの小説『カグの樹の脚』を連載形式で順次公開してゆきます。

連載第十一回 声

 血が繋がってなくたって、嘘をつかれていたって、生きてるならそれでいいじゃない。と、思わなかったとは言えない。モモは瞼がつくった闇の中で考えた。ただ、そんなことよりも。そんなふうに恨めしく、妬ましく思うよりも、ただ……、淋しい、と思った。
 あまりあれこれ考えると眠れなくなる、と、モモは胎児のように体を丸めて膝を胸に引き寄せた。引き寄せた膝は、硬く冷たかった。モモの脚は、もうない。とっくにわかっていたことで、何度も確認したことで、今更それについて特別憂いを感じるべきではないのだが、今夜ばかりは、義足の感触がひどくモモを打ちのめした。
 仕方がない、ことだ。終わった、ことだ。
 脚のことも、両親のことも。
 モモはそのまま、うとうとと眠りに入った。浅い眠りだった。夢の中で、声を聞いた。
 〝ちゃんと見て〟
 〝そしてちゃんと聞くの〟
 それは昼間、トルネリコの前で聞いたのと同じ声だった。ではこれは夢を介してトルネリコが話しかけているのか、とモモは自分が眠っていることを自覚した上で考えた。
 〝人は移ろうもの。変わってゆくもの。それは必然。止められないし、止めてはいけない〟
「今まさに、ここが変わろうとしているんだね?」
 〝そう。わたしの言葉は、もう必要でなくなる〟
「必要でなくなる?」
 〝わたしは長く、人にいかに生きるべきかを教えてきた。人々はそれをよく聞いた。そして賢くなり、数を増やした〟
「あなたが、ここの人々を育ててきたんだ」
 〝そうとも言える。けれど、その段階はとうに終わっていたのだ〟
 〝わたしが伝えていたのは「教え」だった。それを受けて人々は成長した。けれど、成長しきってからも人々はわたしの言葉を求め、「教え」は指示となり、わたしは「教えを授ける存在」から「支配する存在」になってしまった〟
「それでも、人々を正しく導いてきたんでしょ?」
 〝正しいことはすなわち良いことだと、そう定義することができた頃は。けれどその時期はもう終わった〟
「なぜ?」
 〝人が増えたからだ。人が増えれば思いが増える。考えが増える。道も、未来も〟
「もう、あなたの手には余る、と?」
 〝彼らはもう、ひとりで立てる。支えが必要なときは、人同士で支え合わねばならぬのだ〟
 〝そしてそれは、あなたも〟
「あたし?」
 〝そう。ひとりで、立てる〟
 〝でも、ひとりで、どうやって立っている?それを、もっと……〟
 急速に声が遠のいて、モモは慌てた。もっと訊きたいことがある。もっと、他のことが。
 〝ちゃんと見て〟
「何を?何を見るの?」
 〝ちゃんと聞いて……〟
「だから何を!?ねえ、待って!!」
「おい!!」
 力強い声に呼ばれて、モモは目覚めた。
「……え?」
小屋の中で横たわっていたはずのモモは、気がついたら巨大樹トルネリコの目の前に立っていた。すぐ脇でエルマーがモモの肩を揺さぶるようにしながら顔を覗き込む。
このひと誰だろう、と一瞬、思って、軽くめまいがした。
「あたしは……、モモ……」
「ああ、知ってるよ!どうしたんだ!」
目の前の男が、明らかに焦っていた。周囲が慌てていると当人は意外と冷静になれるものだ。なんでかはわからないまでも立った状態で眠りから覚めたのだと、はっきり自覚して笑った。
「あー、ごめん。おはよ。……で、どうしてあたしここに立ってるんだろう?」
「それは俺が訊きたい!お前、ふらふら立ち上がったと思ったら、目を閉じたままここまで歩いて行ってしまったんだぞ。俺が声をかけても知らんぷりでな」
「マジか……」
「お前、大丈夫か?夢遊病の気でもあるのか?」
「いや……」
 まだ、半ばぼんやりした状態でモモは返事をして、夢の中で聞いた言葉たちを反芻した。
「夢……?いや、あれは単なる夢じゃなかったんだ」
「……?何の話だ」
「あのさ、エルマー」
きつく眉をしかめた、もう御馴染みになりつつあるエルマーの渋面に、モモは正面から向き合った。
「な、何だよ?」
「あたしの妄想だと思って欲しくないんだけど」
 そう前置きして、モモは夢の中で聞いたトルネリコの言葉の概ねのところを伝えた。モモ個人に向けていたらしい部分は除いて。エルマーは渋面のまま少し考えていたが、それはモモの話に猜疑心を持ってのことではないようだった。
「この樹の声、というやつは俺も体験しているからな、妄想だとは思わんが……、どう解釈したもんだか……。予言、と捉えるにしても内容がいささか具体性に欠ける」
「予言……、というよりは、覚悟のように感じたけど」
「覚悟?……つまり切り倒されるであろう未来を見据えた上で、それをよしとする、ということか」
 切り倒される、という言葉にドキリとして、モモは息を飲んだ。
「そうであるなら、俺たちはこの夜間警備をできるだけ早く引き上げなければならないな」
「え?なぜ?」
「いくら情報を手に入れるために引き受けた警備だとはいえ、トルネリコを切りにやってきた者は追い払わねばならん。だが、この樹自身が切られることをよしとしているならば、俺たちが手を出すべきではないだろう」
「それは、そうだけど……」
 エルマーの意見は正しい。モモたちの本来の仕事は警備ではなく、この地方の統治状況の調査なのだ。統治状況を変えるような手出しをしてはならない。
「理解はできるが納得はできない、という様子だが」
「あー、うん、まさしくそんな感じ」
 はは、と笑ってはみたものの、それは乾いたものになった。思考をクリアにするために深呼吸をして、そこでモモは空が白々明けてきていることに気がついた。
「えっ、あたしこんなに寝てたの!?ちょっとー、適当なところで交代するって言ったじゃんかー!」
「ああ、適当なタイミングを逃してな」
「ええー!?」
 寝る前に話した内容が原因で変な遠慮をしているんじゃなかろうか、とモモが疑る視線を投げると、エルマーは素早く顔を背けた。
「と、とにかく、引き上げるにしても昨日引き受けたばかりのものを今日すぐに、としては不審がられるだろうから、もう一晩はここにいなければならんだろうが……」
「それはそうだね」
 しょうがない誤魔化されてやるか、とモモはごく普通に返事をした。
「覚悟のような気がする、と言ったあたしがこう言ってはいけないかもしれないけど、切り倒されることを回避できるなら、回避させた方がいいような気もするんだ。……もちろん、あたしたちがそれに働きかけることはできないけど」
「まだ一方向からしか事態を見れていないしな。議会派とやらの方にも、なんとか調査をしに行かねばならん」
「夜が明けきったら、あたしが行く」
「俺が行くという話だったろう」
「それはきちんと交代で警備ができてたらの話でしょーがよ。夜中一睡もしてない人を昼間も働かせるわけにいかないでしょ」
 ふん、とモモは鼻を鳴らす。エルマーは明らかにムッとした様子だったが、ここでモモが叱られるいわれはない。しぶしぶうなずいたのを確認して、モモは思わず笑った。
「いい子でお留守番しててね、兄さん」
「一言余分だよ、バカ」
 頭をはたかれそうになったのを、ひょい、とよけて、モモは巨大樹を見上げた。
トルネリコというこの樹の偉大さに、できるかぎりの敬意を表したかった。
朝食を持ってきてくれたダガーに昨晩の報告をし、エルマーが小屋の中できちんと寝る体勢になったのを確認してから、モモは出かけた。正面突破しようと思っているわけではないが、とりあえず、昨日利用した図書館の向かい側、つまり庁舎を目指す。
 道すがら、昨日モモたちがダガーに問い詰められているときに居合わせた、恰幅のいい女性にばったり出会った。名前を、セフティというらしい彼女は、モモが挨拶をすると親しげな笑顔で手招きをした。
「よかったわね、仕事もらえて」
「はい、お世話になりました、助かりました」
「そんな硬い挨拶いいのよぉ。それよりさあ、あんたのお兄さん、なかなかカッコいいじゃない?いや、あたしはもう亭主も子供もいるんだけどさあ、ここらの若い娘は皆、のぼせあがっちゃってるのよ」
「なによう、セフティさんだって喜んでたじゃないのぉ」
 いつの間にか、何人もの女がモモの周りに集まってきた。その好奇心丸出しの様子に、モモは思わず少し笑った。
「ねえねえ、お兄さん、お付き合いしてる人とかいるの?婚約者とかさあ」
「婚約者?いない、いない」
 ほとんど素でけらけら笑って、モモは手をぱたぱた振った。本人に確認などもちろんしていないが、自信を持ってそう言えた。右の義足を賭けてもいい。
「そうなの!?あんなにカッコいいのに!自慢のお兄さんなんじゃない?」
「うーん、そうですねぇ。でもあたしは、もうちょっと爽やかで、愛想よくなってくれたらと思うんですけど」
 言いながらモモは、苦しそうなほど眉をしかめたあの渋面を思い浮かべる。
「愛想いい男なんてね、むしろ要注意なのよ!ぶっきらぼうなくらいがちょうどいいって!」
「そんなもんですかね?」
 和気藹々と女同士の会話を展開しながら、モモはこれをなんとか利用させていただこう、と頭を回転させた。
「そうそう、兄さんは昨夜あたしの分も頑張ってくれちゃったので、今小屋で寝てますよ。午後には起きてくるかもしれませんけど」
 バラ色の頬をした若い娘たちの方を意識してそう言うと、控えめながらもきゃあっ、と歓声めいたものがさざめいた。昼近くに小屋へ帰れば面白いものが見られるかもしれない、と忍び笑いを漏らしつつ、モモはセフティに問いかけた。
「それにしても、トルネリコは立派ですね。どのくらいの樹齢になるんですか?」
「さて、どのくらいなんだろうねえ。誰も正確なことはわからないんじゃないかねえ、長老さまならご存知かもしれないが」
「声が降りてくる……、という言い方が不適切なら申し訳ないですが、あれは本当に驚きました。なんと表現していいのかわかんないですけど、とにかく、素晴らしかった……」
 こればかりは取り繕った物言いではいけないだろうと、感じたとおりを言葉にする。おかげで丁寧な物言いが不恰好に崩れたが、セフティは言葉づかいよりも、モモのその心根に歓心を寄せてくれたようだった。
「ここの者らはね、その声に導かれて、守られて生きてきたんだよ」
 目元をふわりと柔らかくして、丁寧に言ったそのセリフを皮切りに、セフティはトルネリコを取り巻く事情を教えてくれた。
 曰く。この地方では、田畑に関することから法律、相続に関することまで、とにかく決まり事というものはすべて、トルネリコに伺いを立てる方針で平和を保ってきた。それがいつ始まったものなのかは、よくわからない。この方針に亀裂が入り始めたのは、この地方が「ホウル国の一部である」という枠組みがはっきりとしてからだ。常識的に考えて、地方の代表は樹木であると申告することはできない。そのため、形ばかりの議会を置き、議員を選出した。この議会で地方を運営している、ということにしたのである。これがすでに50年以上前のことだという。しかし、形ばかりであったはずの議会は次第に実権を持つようになり、トルネリコに伺いを立てることなく行政を行うことが多くなった。それに伴って、トルネリコにも変化があった。昔はトルネリコの前に立てば誰もが声を聞くことができたが、次第に、聞こえない者が出てきたのである。生まれた時から一度も聞いたことのない者もいれば、以前は聞こえたのにある日突然聞こえなくなる者もあり、その原因はわからなかった。
 そういうあらゆる要因から、現在、議会の実権をより強固なものとしてトルネリコを地方の政治から廃そうとする議会派と、昔からの方針に立ち返って議会の実権を無効化させたいトルネリコ派が対立を深めているらしい。
「なるほどねー」
 セフティにもらった林檎を齧りつつ呟いて、モモはぶらぶらと歩いた。昼をめがけて、エルマーの寝ている小屋を突撃するわ、と笑う女たちと別れ、モモは予定通り庁舎の方面へ進んでいた。
 だいたいの仕組みも事情もわかった。モモたちにとってここから重要なのは調査結果として「対立している現状」を報告するか「対立の末どうなったか」を報告するか、ということである。一度、エルマーと相談をしなければなるまい。
 モモは林檎を芯だけになるまで綺麗に食べて、道端の植え込みに放り投げた。
「行儀の悪い娘だなァ……、所詮〝ツギハギ〟ってことか」
 いかつい肩が、ぬっと現れて、モモの上に影を作った。逆光なのに両目が妙にギラリと光る。
「ロベン……!あれ?ひとりなの?ポタラは?」
「いちいち一対で考えるのをやめろ。お前の方こそ相方はどうしたんだ、あのイエローストーンの坊ちゃんは?さては昨夜あいつに手ェ出されて気まずくなった、とか?」
「んなわけあるかい。名門を売りにしてるにしちゃあ発言が下品だなあ」
 そんなやつに行儀が悪いだなどと言われたくはないわ、とモモはロベンに舌を出した。ポタラが一緒にいるならともかく、ロベン単体と中身のない会話などしたくはない。さっさとその場を離れよう、と思ったモモだが、ふと思いついた。
「ねえ、ロベン。君らの今回の任務ってさ、もしかして依頼人が議会の人間だったりする?」
「その質問に、俺がきちんと答えてやると思うのか?」
「思わない」
 モモは即答して、そして苦笑した。ダメでもともと、な質問だったが予想以上に無駄になるのが早かった。
「ま、お互い、それぞれの仕事を頑張りましょ、ってことで」
 ひらひらと手を振って、モモはロベンの巨体を回り込むようにして先へ進んだ。
「待て、ツギハギ。答えてやるよ」
「……は?」
 呼び止められるとは思わず、しかもそのセリフが信じがたいものだったので、モモは反射的に固まった。
「は?じゃねえよ、人にものを訊いておいてその態度か?答えてやる、って言ってるんだ。それだけじゃない。お前たちの任務の役に立ちそうな情報を流してやってもいい」
「……どういう心境の変化……?いや、親切心が起きたわけじゃないよね、うん。取引内容は何?」
 鋭い眼光のロベンを油断なく眺める。高慢な態度はいつものことだったが、なんとなくいつもより余裕がないように見えるのが気になった。
「ふん、フック社のやつはこういう件では話が早いな。取引内容は簡単だ。情報をやる代わりに、お前にポタラを助けてほしい」
ポタラを?どうかしたの?」
「昨夜から、一向に部屋を出ようとしない。理由を聞いても、女でないとわからない、の一点張りだ。正直、お手上げだ」
「へええ……。サンスーシ社の純血エリート様でもお手上げだ、と認めることがあるんだ」
 モモがにやにやすると、ロベンは心底嫌そうに目を眇めた。もう充分に目線は上にあるというのに、顎をくい、と持ち上げてさらに高みからモモを見下ろす。
「取引に乗るのか?乗らないのか?」
「乗りましょ。情報もらえて、ポタラの役にも立てるなら、あたしとしては何の損もないし」
「……そうか。その言葉、しっかり聞いたぞ」
「ん?」
 ロベンの声が急に低くなったかと思うと、その巨体からは想像できぬほどの素早さでモモとの距離を詰められた。マズい、と思った瞬間に、全身を衝撃が走り、モモの目の前は真っ暗になった。

 

 

※次回更新は5/10頃の予定です。