カグの樹の脚

つばめ綺譚社の紺堂カヤの小説『カグの樹の脚』を連載形式で順次公開してゆきます。

連載第八回 調査開始

 義足ジャンパーだというこの小柄な少女をどう扱って良いか、エルマーにはわからなかった。少女、にしか見えぬが同い年だという彼女は、見た目に反してしっかりとした物言いをする上、エルマーの差別的な発言にも怯まず、また激怒することもなく理性的な反論をしてきた。
 そう、あの差別的な発言をしてしまったことに関しては、激しく後悔がある。溜息だけはこらえて、エルマーは眉をきつく寄せた。あの価値基準が自分の根底にあるのだということを、エルマーは認めたくなかった。けれども、あの発言はそれを裏付けてしまっていた。
「ああ、随分明るくなってきたねえ」
 そう言うモモの首の動きにつられて、エルマーも東の空を見た。鮮やかに赤かった色が薄くぼやけて、空全体が明るくなってきている。
「気候は穏やかな頃みたいね。よかったー、ここのところ、暑いとこばっかりだったからさあ」
 のんびりとそんなことを言うモモの横顔は穏やかだ。どう考えても好意的ではない態度を取り続けているエルマーに対して、こうも鷹揚に構えていられるというのは一体どういうわけなのだろうと思う。自分がひどく子どもっぽく感じられてしまって、エルマーは余計にイライラした。
「さて。そろそろ北東地方に入るわけだけど、どこから調査に入る?」
「そうだな……」
 雑談にはほとんど返答をしなかったが、任務の話となればせざるを得ない。調査任務が初めてなのは、エルマーとて同じだった。正直なところ、方法についての自信はない。だが、調査、というもののセオリーに則ればいいのではないかと考えていた。
「図書館のような施設があれば、そこからだな。新聞を調べる」
「ははあ、新聞すか」
「……不満なのか?」
「いーや」
 そのセリフが本音なのかどうか、エルマーにはわからなかったが、不満ではないにしろ、モモの考えは違うものであったらしいことはわかった。
「……お前は普段、どうしてるんだ、ハンター任務のときは」
「あたし?あたしは基本、聞きこみかなー」
「聞きこみ?直接、住民に、か?」
「そうだけど?」
 こともなげに言うモモの顔を、エルマーはしげしげと眺めた。
「え、そんなに驚くこと?」
「いや……」
 エルマーは視線をそらして言葉を濁した。
 わかってはいたことであった。サンスーシ社が依頼を受ける任務と、フック社のそれとはまったく、性質の異なるものだということは。
「じゃ、最初図書館を探すのね。関係性の設定はどうしようか……、兄妹、が無難かね」
「関係性の設定?」
「そ。君ら何者、って訊かれたとき、その場で嘘をでっちあげるのはリスクが高いでしょ、ふたりだと余計に」
「ああ……」
 なるほど、と言いそうになったのを飲み込んだ。モモの方が上手であると、認めてしまうようなものだ。
「そ、それにしたって、兄妹というのはどうなんだ。同い年だろう」
「自分で言うのもなんだけど、あたしの方が年下に見えるでしょ?ご不満なら、恋人とかにしておく?」
「……兄妹でいい」
 顔を合わせた日と同じだ。それを選ぶしかないのに、それはわかっているのに、無駄な反論をしてしまう。結局のところ、モモの方が上手であるというのは、エルマーが認めるも認めないもなく事実なのだ。
 またも渋面を作ったエルマーに、モモはきわめてあっさり、じゃあそれで、と言って、北東地方で一番大きな街の、さらに中心部を目指すことを確認した。
 途中、道端で休憩を取りつつ、第九八球に到着してから二時間ほども歩いただろうか、だんだんと民家が増え、人通りも出てくると、モモは興味深そうにきょろきょろ周りを見回した。街の真ん中に森があるのかねえ、などと言って遠くにこんもりと見える緑を指さしたかと思うと足元の石畳を覗き込んで具合を確かめたりしている。わかりやすくもの珍しそうにしやがって、とエルマーが溜息をついたそのとき、モモが小さなショーウィンドウを構えた店に向かって小走りに駆けて行った。
「お、おい!」
 エルマーが慌ててモモを追うと、彼女はショーウィンドウを熱心に、いや、ショーウィンドウの向こう側の、店内の様子までも目に入れようと覗き込んでいた。女ってやつは、と内心で悪態をつき、肩に手を伸ばすと、モモは触れられる前にサッと身を翻して店から離れた。
「着替える必要性はなさそうかなあ、この格好でも。悪目立ちするってことはなさそう」
 そんなことを言って、すたすた歩いて行く。
「調べてないのか、事前に?」
「基本情報は目を通したよ、もちろん。だけど、こういう種類のことは自分の目で確かめたい性格なんだよね、ごめんね時間取らせて」
 ごめんね、と言う割には申し訳ないと思っているようなふうでもなく、モモは軽く肩をすくめた。その様子に、エルマーはなぜだかひどく打ちのめされたような気分になって、けれどもそれを気取られるのだけは避けたくて、黙ってまた隣を歩いた。
 基本情報に記載があったが、第九八球ホウル国の文化レベルはマイナス五十。つまり、五十年前のハブと同じレベルだということだ。電子機器がほぼない時代のハブだと考えておけばいい。……と、思っていたのだが、そう頭で理解しているのと、実際に降り立ってみるのとではたいぶ印象に差があるようだった。
 街の建物は、どれも同じ材質を使用しているのか、一様に白っぽい壁を見せて並んでいた。整備された街道の街路樹だけでなく、家と家の間にも草木が多く、壁の白と枝葉の緑のコントラストは非常に印象的なものとしてエルマーの目に映った。その中でも、森でもあるのか、とモモが言ったように、街のほぼ中心部と思われる位置に見えるこんもりとした緑の盛り上がりは相当目立っていた。丘か山のようにも見えたが、それにしては盛り上がり方が急すぎるように思えた。
 図書館へは、特に迷うこともなく辿り着くことができた。街道のいたるところに黄色い案内板があったからだ。緑と白が彩る街の景観を、まるでぶち壊そうとしているかのような派手さだったのには、美的感覚に自信のないエルマーでさえ閉口したが、そのおかげで迷わなかったのだから文句は言えまい。
図書館は石造りの立派な建物で、よそ者を寄せ付けぬ雰囲気があった。もちろんそれに気圧されるわけにはいかない。図書館の向かいには、同じく石造りの大きな建物があり、どうやらそれがこの地方の庁舎のようだった。エルマーとモモは、その庁舎にちらりと視線を向けてから、図書館へ入った。
 広々とした図書館は、開館したばかりの時間帯だからだろうか、利用者は少なく、その誰もが己の手元の書物に夢中であった。カウンターにいる職員も、特にエルマーとモモの方を窺う様子はない。他人に構わぬ都市気質のところでよかった、と思った。
 

 〝トルネリコ祭、今年も盛大に〟
 〝ローダーの出荷ピーク〟
 〝国王陛下、隣国大使と会談〟


 一面に踊るこれらの見出しは、ここ十日間ほどの新聞のものだった。そう簡単に鍵となりそうなものが見つかると思っていたわけではないが、鍵の手がかり、くらいのものは拾い上げたいところだ。とりあえず、国全体の事柄ではあるが〝統治状況〟に関係がありそうなのは国王と大使の会談の記事であろうか、とナナメ読みをして、ふと、向かいで同じく新聞を手にするモモを見た。少し唇を突き出すふうにして。左の人差し指をこめかみにあてている。
 新聞記事を構成しているのは、単語や文法どころか、文字からしてハブで慣れ親しんだものとは似ても似つかない。ジャンパーの登録をしたときに体内に埋め込まれた自動翻訳機のおかげで読むにも書くにも話すにも、困ったことはないが。義足ジャンパーということは、モモはハブ生まれでない可能性が高い。実は最初から二人とも別々の言語で会話しているのだ、ということを考えると、妙に不思議な気がした。
「ねえねえ」
 その、おそらくはエルマーの母語とは違う言語で、モモが呼んだ。
「これ」
 モモが示して見せたのは、トルネリコ祭という北東地方で毎年行われている祭についての記事だった。
「祭がどうかしたのか」
「うん」
 モモは記事の後半をとんとん、と指で叩いた。


増税はならぬ、というトルネリコの決定を無視せんとする議会派による妨害行為が懸念されていたが、目立った衝突は見られず、祭は無事終了した』


 増税、衝突、という言葉に目を見張る。
「トルネリコという支配者に、反対している勢力がある、ということか」
 モモが神妙な顔つきでうなずいてから、ただ、とため息のように言った。
「ただ、何だ」
「何度か読んでみたけど、どう考えてもその支配者っていうトルネリコというのは、樹木の名前なんだなー」
 紙面に乗せられたままだったモモの指が、するりと滑って文章の隣の写真を示した。樹齢何百年、と思われる巨大な樹木の姿だった。
「どういう、ことだ……?」
「それを調べるのが、あたしたちのお仕事ってことかなー」
「……そんなことはわかっている」
 モモの軽い調子が癇に障って、ムッとした声が出た。
「何怒ってんのー?」
 エルマーは黙って新聞を棚に戻すと立ち上がった。まずはその樹とやらを見に行くべきだろう。いや、先に議会派とやらか、と図書館を出てすぐ、向かいの庁舎を見上げる。と、見知った顔がふたつ、そこから現れた。エルマーの体が、反射的に固まる。
「おやぁ?坊ちゃんじゃないですか」
 巨躯と呼んで差し支えない大きさの男が笑う。その隣で紫の髪の女性が目を見張っていた。
「リュー……いえ、エルマー。あなた方もここだったのね」
「ちょっと待ってよエルマー、ってあ、ポタラ!とロベン」
 遅れて出て来たモモが、エルマーの隣でふたりと顔を合わせた。
「へえ?それが坊ちゃんのパートナーですか」
 ロベンがニヤリとした。
「よく平気ですなあ、さすが名門といったところですか、いやー、心が広い。〝ツギハギ〟と組まされても平然としていられるとはね」
「ロベン」
 ポタラが窘めるように名を呼ぶが、ロベンはなおも明らかな嘲りをこめた声でエルマーに話しかけた。
「俺ならとても我慢できませんね。体内の純血が本能で拒否をしますよ。坊ちゃんはしないんですか?……ああ、流れてる血が違えば、そりゃあしないか」
「っ!!」
「ロベン!!」
 エルマーが鋭くロベンを睨み上げたのと、ポタラが叫ぶように呼んだのは、ほぼ同時だった。
 怒りがカッと頭に上っていたが、血の気が引くような感覚もあり、エルマーは自分が今どんな顔色でいるのかわからなかった。睫毛の上で蛍が飛び交っているように、目の前がチカチカした。
「ああ、凄い目ですなあ。名門イエローストーン家の坊ちゃんでも、そんな目ができるんですなあ。それも血脈のなせる業なんですか?」
「ロベン!いい加減になさい!」
 ポタラがロベンの正面へ立ちふさがって怒鳴った。彼女が立ちふさがってもロベンの顔は少しも隠れず、ロベンは切れ長の眼ではっきりと微笑んで肩をすくめて見せた。
「エルマー」
 すぐ隣で声がした。いつからそうしていたのだろうか、モモがエルマーを見上げていた。穏やかに、エルマーをエルマー、と呼ぶ顔には、不安や心配のようなものも、焦燥や悲哀のようなものも浮かんでおらず、ただ静かだった。
「仕事しよう」
「……ああ」
 ゆっくりと息を吐いて、エルマーはうなずいた。睫毛の先の蛍は飛び去っていた。
「じゃあね、ポタラ
 モモが笑顔で手を振って、エルマーはふたりの方を見ることもなく、庁舎の前を去った。
「トルネリコはもう少し東らしいよ。っていうか、きっと、あそこにずっと見えてる森だよね」
「お前なんで知ってんだそんなこと」
「図書館で調べて来たからに決まってんでしょ?エルマー、さっさと出てっちゃうんだもん。結構せっかちなんだね」
 面白そうに笑うのがまた癇に障るが、変なふうに気遣われるよりは何倍もマシというものだった。自然すぎていっそ不自然なほどにモモは変わらぬ態度で接してくる。エルマーの素性を知ったのは、おそらくは今のことであるはずなのに。
 お前何も訊かないのか、などとエルマーの方から口走ってしまいそうで、唇を軽く噛んだ。